入院に至るまで
ご心配をおかけいたしております。
経過報告いたします。
ジャパンカップの後、兵庫県西宮市から神奈川県三浦市向け艇を回航しておりまし
た。350マイル(約650q)丸二昼夜の行程です。
11月6日(月)13:15西ノ宮出港、潮岬を00:00頃通過、順調な航海でし
た。
夕方頃からお腹が痛かったのですが、特段激しい痛みではありませんでした。
02:00からワッチ(当直)の為起床した時、お腹に差し込むような痛みを感じオン
デッキしてすぐに嘔吐しました。
(ヨットのに乗って20年程になりますが、嘔吐したのは初めてです。)
しばらくしたら気持ち悪いのも落ち着き、そのまま舵を持ち2時間ほどしてからカロリーメイトと水を一口飲み寝ました。
食あたりではと、食べたものを思い出しましたが生物は食べてません。
他の乗員と
違う食べ物は牛乳だけです。きっと牛乳だと言うクルーもいます。
しかし日付も新しく保存も氷と一緒でしたから違うような気がします。
例の雪印事件の際は日本にいなかったので、牛乳に対する不信感が無いからか
も知れません。
11月7日(火)10:00からは通常通りのワッチ出来ましたが、
12:00頃他の乗員と昼食を取り1時間ほどしてまた嘔吐。
それからはずっとお腹が痛く、ボンク(ベッド)で寝てはデッキへ吐きにの往復でし
た。
どうも水分、食べ物を取るとお腹の痛みが激しくなり、すぐに吐いてしまうので、そ
の後は一切飲食物を取らずに過ごしました。
12:30頃大王埼付近でエンジンの調子が悪くなり修理。その時はまだ元気があっ
たので修理を手伝ったりしてました。
機帆走にしましたがエンジンが何度も止まり徐々にエンジンの回転数を上げることが出来なくな
り次第に速力も落ちました。
エンジンの部品を取り寄せ何処で修理をするかを決めるため岸に向けて走ることにな
りました。
16:00ごろ携帯電話の電波の届くところまで行き陸と連絡をとり、気象予報を聞
いたところ今夜は北西または、西の風やや強くとのこと、
このまま五ヶ所湾、鳥羽方面に向かうと夜になり入港が難しい為、明るくなるまで沖
で待たなければなりません。それより目的地三崎に近い御前崎、または下田に向かう
ことにしました。
それからは腹痛が激しくなりワッチにもでられず、ボンクで横になるだけでした。横
になっても痛みは収まりませが幸いなことに、時より和らぐことも有ります。
陸にいれば救急車を呼んですぐに病院に行けるのですが、なにぶん海の上なので。・
・・・
近くに港もなく艇速も思ったように上がらない状態なのでよけい悪いです。
夜になると予報通り西ヶの風(西よりの風)が吹き艇速も上がりました。しかし御前崎までは10時
間以上、下田はそれよりも遠く。・・・
船に有った医学書を見るとどうも胃潰瘍の症状に似ています。胃酸を押さえる薬が
有ったので
それを飲んで気を紛らわしましたが、症状は変わらずよけい気持ち悪くなったりもし
ました。
出来るだけ近い港に入り病院に行きたかったですが、その後の修理等を考えると下田
になります。下田到着予定は翌昼前まだ18時間有ります。
操船は他のクルーに任せ、ただただ時間が経つのを待つだけ、耐えるだけです。
夜は良い風が吹き下田までは順調な航海だったようです。
11月8日(水)09:00予定よりも早く下田に着きました。
お腹の痛さはすごいのですが、不思議と体は動くし、回りからは元気に見えるし損をす
るタイプでしょうか。
救急車を呼んで下田の病院に行き血液検査、レントゲンを取りましたが薬をもらう分
けでも無く点滴を受けただけです。
(艇はエンジン修理後、小生抜きで三崎に向かいました。)
病院の先生曰く胆石の可能性が有るとのこと、入院して精密検査を受けた方が良いと
の話でしたが、やはり自宅から遠いと何かと不便です。
東京へ移動することに先生も同意してくれ、電車で東京に向かうことにしました。
東京までは約3時間スーパー踊り子号に乗り、駅弁、ビールも飲めず伊豆の海を眺めな
がら腹痛に耐えました。
悪いことは続くようで、熱海で信号機の故障があり東京駅着が1時間遅れました。
中央線で四谷まで行きそこからTAXIです。
病院は知り合いの先生からご紹介を頂いてましたので、スムーズに入院出来まし
た。
入院先は都内某所です。
1週間ほどの検査入院ですので、お気遣い無く。
取り急ぎご報告まで。・・・・
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